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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)193号 判決

原告

田中学

右訴訟代理人弁護士

大崎康博

外一名

被告

東京都

右代表者知事

美濃部亮吉

右指定代理人

木下健治

外三名

主文

一  被告は原告に対し、金二二八万円及びこれに対する昭和四五年八月三一日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  申立

(原告)

一、被告は原告に対し、金三二八万円及びこれに対する昭和四五年八月三一日から右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

三、仮執行の宣言

(被告)

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

第二  主張

(原告)

請求原因

一  (原告が身柄拘束を受けた経緯)

原告は、昭和四一年二月一五日警視庁警察官により詐欺(無銭飲食)容疑で逮捕され引続き同容疑で勾留され、右勾留中の同月二二日強盗強姦・強盗殺人容疑により逮捕され引続き同容疑で勾留された。更に、同年三月一五日東京地方検察庁検察官により右強盗強姦・強盗殺人容疑で東京地方裁判所に起訴された。しかるところ、昭和四二年四月一二日東京地方裁判所は右強盗強姦・強盗殺人被告事件につき原告無罪の判決を言渡したので、原告は同日釈放されるに至つた。この間原告は一年五七日に亘つて身柄の拘束を受けた。

なお、東京地方検察庁検察官は、右判決を不服として東京高等裁判所に控訴したが、昭和四五年八月一七日同裁判所は控訴を棄却し、その後右判決は確定した。

二  (警察官の不法行為)

1 (強盗強姦・強盗殺人事件の発生と捜査の開始)

昭和四一年一月二五日東京都北区東十条郵便局中庭において佐藤英子(当時三八才)の変死体が発見され、警視庁は、これを強盗強姦・強盗殺人事件(以後単に強殺事件という)と認め、同日同庁刑事部長を本部長とする特別捜査本部を王子署に設置し、同庁捜査第一課警部青木光三郎を現場における直接の指揮者として捜査活動を開始した。

2 (別件逮捕)

(一) ところで右捜査にあたつた警察官ら(以下捜査官という)は、第三者の提供する一方的かつ事件との関連性が極めて薄弱な情報から、右強殺事件発生推定時における原告の挙動に不審な点があるとして同人につき捜査した。しかし、右強殺事件の嫌疑を裏付けるに足る具体的な証拠を収集し得なかつたところから、ともかく、同人の身柄を拘束して強殺事件につき取調べることを考え、更にその身辺につき聞込捜査中、同人につき右事件発生現場付近のバー「レインボー」に飲食代金の未払分があることを聞知した。そこで、捜査官は、原告の人権尊重につき何ら願慮することなく、これを別件の詐欺被疑事件として立件し、これによりいわゆる別件逮捕をしたうえ同人の身柄を拘束して右強殺事件について取調べることを企図した。

(二) そこで、捜査官は、まず右「レインボー」のバーテン滝沢渉に対し、「原告が強殺事件の犯人であることは間違いないから協力してくれ。」と強引に働きかけ、同人名義の、虚偽かつ誇張した内容の供述調書を作り上げた。また、右「レインボー」の経営者は原口広司であるにもかかわらず、同人が原告の右飲食代金未払の事実につき、刑事手続に訴えその処罪を求める意思もなく被害届の提出に応じないことが判明するや、たまたま「レインボー」の保健所に対する形式的な届出営業名義人が三崎アサであつたことを奇貨として、同女方に赴き、同女に対し右滝沢に述べたと同様のことを述べ、被害者でもない同女から虚偽内容の被害届を提出させた。

(三) そして捜査官は、昭和四一年二月一五日午前七時頃横浜市中区山下町の、当時、原告が宿泊していた朝日運輪株式会社の寮に赴き、就寝中の原告の部屋に入り込んで、いきなり原告に理由も告げず王子署への同行を求めるとともに、令状もないのに同人の所持品を捜査し、衣服、洗面具等の身廻品を用意させて、同人の身柄を王子署まで運び、同署において午前九時半頃から午後一一時頃まで、右強殺事件発生の日である昭和四一年一月二四日の原告の行動について、終日原告を取調べた。

(四) 更に、右取調中の午後七時頃、捜査官は前記原告の飲食代金未払の事実を詐欺被疑事実とし、これにより原告を逮捕することを決意し、その逮捕状請求書の被疑者職業欄、同住居欄にいずれも「不詳」と虚偽の記載をし、「逮捕状が七日を超える有効期間を必要とするときは、その理由及び事由」欄に、「被疑者の住居不詳につき一ケ月」と虚偽かつ不当な記載をなし、前記三崎の被害届、滝沢の供述調書および、被疑者の職業および住所につきいずれも「不詳」の虚偽がなされ、かつ強制捜査の必要性についても虚偽或いは不当な記載がなされている捜査本部員松下信男外作成の昭和四一年二月一四日付捜査報告書を右逮捕状請求書に疎明資料として添付し、これを東京簡易裁判所に提出して、同日同裁判所裁判官より令状の発布を受けた。

3 (右逮捕状請求の違法性)

右逮捕請求等における被疑者の職業・住居欄等の記載が虚偽かつ不当であることは次の諸事実から明らかである。

即ち、当時原告は東京都北区神谷町一丁目六番地の大工高橋三好方の住込大工であり、雇主高橋の指示に基づき前記横浜市中区山下町所在の朝目運輪株式会社の寮に泊り込み、同社事務所等の増改築工事に従事していた。ところが、捜査官は、昭和四一年二月五日頃から原告の身辺捜査を開始し、同月八、九日頃には原告の前記仕事現場に赴き、同人が大工として稼働中であることを確認し、大工として同人とともに稼働中の同僚の原進吾に原告の監視方を依頼し、また、同月一三日には原告の雇主たる前記高橋の妻光子から事情を聴取し、原告が高橋方の住込大工として勤めていることを確認していた。また、捜査官は、前記のように同月一五日原告を王子署に同行して取調べたのであつて、捜査の常識からして、その際、身柄の確認のため、その氏名、年令の他、職業、住居についても訊ねないはずはないのである。しかも、原告の職業、住居関係につきその後何ら新たに判明した点はないのにかかわらず、翌一六日付松下信男外一名作成の捜査報告書には、原告の職業および住居のいずれもが正しく記載されているのである。右の諸事実からして、捜査官において右記載当時、原告の職業および住居が不詳であつたということはあり得ないのである。しかも前記のように、逮捕状請求時には原告の身柄を王子署に確保し、現に取調中であつたのであるから、逮捕状が一ケ月もの有効期間を必要とする理由は全く存在しなかつたというべきである。前記の諸事実からすると、捜査官は、原告が何拠で、如何なる生活をしているのか不明である旨装つて、裁判官を欺き逮捕状の発布を得るため、敢て右のような虚偽かつ不当な事実を記載したものであることが明らかである。

4 (詐欺被疑事実についての逮捕・勾留の理由および必要性の不存在)

捜査官は、前記逮捕令状を同日午後一一時頃執行して原告を逮捕し、同月一七日右詐欺被疑事実により勾留状の発付を得て、引続き同人を勾留した。

しかし、右逮捕・勾留は、その理由および必要がなく違法であることは次の諸事実から明らかである。

(一) 飲食代金の支払を多小延滞したとしても、それのみを理由に詐欺罪が成立するものでないこと論を俟たない。そもそも原告の右飲食代金未払の事実が詐欺罪を構成するものであるか否か、極めて疑問がある。しかも、捜査官自らも、詐欺罪が成立するものとは考えていなかつたのである。

(二) 原告は、一定の職業および住居を有し、当時一ケ月約五万円ほどの収入があり、仮に前借分も給料から差引かれても、右未払飲食代金ぐらいは支払うに十分な資力があり、逃亡のおそれもなかつた。

また、捜査官は右詐欺被疑事実についての証拠を既に十分収集済みであり、原告も飲食代金未払の事実そのものについては当初から認めているのであるから、証拠隠滅のおそれもなかつた。仮に、そのおそれがあるのであれば、昭和四一年二月一五日原告を王子署に同行し、午前九時半頃から逮捕状を執行した午後一一時まで続けられた取調において、何故に詐欺被疑事実についての取調をせず、これに関する調査も取らなかつたのであろうか。しかも、詐欺被疑事実については翌一六日に取調べたのみで、それ以外これにつき全く取調をしていないのにかかわらず、同月一八日には、右詐欺事実につき勾留請求までしているのである。

(三) 前記のように、原告は、当時約五万円ほどの月収があり仮に前借分を給料から差引かれても、未払飲食代金ぐらいは十分支払い得たのであり、そうでなくても、いつでも雇主から給料を前借することもできる状態であつた。しかも、逮捕当日は原告の給料日であつて捜査官はこのことを雇主の妻光子から聞いて知悉していたのであるから、原告が当日受取るべき給料で未払飲食代金を支払わせれば足りたのである。さらに原告は、これまで処罰を受けたことは勿論のこと、逮捕されたこともないから、仮に右飲食代金の未払を理由に逮捕されるものと知れば即座に支払つたはずであり、捜査官が敢て原告を逮捕・勾留するまでの必要性はなかつたのである。

5 (取調方法の違法・不当性)

前記のとおり昭和四一年二月一五日早朝横浜から捜査本部の設置されている王子署に連行され強殺事件について取調を受けていた原告に対し、捜査官は、同日午後一一時別件の詐欺被疑事件の逮捕状を執行して同人を逮捕したのであるが、以後連日連夜、七、八平方メートルの狭い取調室において、主として前記青木光三郎を中心とする四、五人の捜査官が原告を取囲み、強殺事件につき、昼夜を分かたず、大声で原告を怒鳴りつけながら訊問を繰返し、原告が苦痛に堪えかね泣き喚いたりする状況において取調を続け、強殺事件について自白を強要し、同人を絶望的心境に陥れ、逐に同月一八日原告をして強殺事件につき、取調官の誘導するままの、同人の身に全く覚えのない虚偽の事実を内容とする自白をなさしめたのである。

6 (検察官との共同不法行為)

検察官は、警察官より送致された事件については、慎重に内容を検討し、必要とあれば更に補充捜査をなし、警察官を指揮して捜査の補助をさせ、真実を明らかにし、適正な法の執行をする義務があり、警察官の違法な捜査があれば、その違法をただし適法な捜査をさせ、適法な捜査によつて入手した資料に基づき、事件の起訴、不起訴等につき適正な処理をすべき義務がある。しかるに、右強殺事件担当検察官である東京地方検察庁検事は、前記捜査担当警察官の違法、不当な手段方法による捜査を知悉しながら、これにつき何ら是正させることなく、却つて警察官らと共謀して、前記のとおり違法に蒐集した証拠資料を利用し、強殺事件について勾留手続をなし、昭和四一年三月一五日原告を右強殺事件の容疑者として違法に起訴したのである。換言すれば、警察官も、右検察官の違法な起訴に加担し、もつて共同不法行為をなしたものである。

三  (被告の責任)

原告は、前記青木光三郎をはじめとする本件捜査担当警察官の不法行為ないし検察官との共同不法行為により、前記一項のとおり長期間身柄拘束を受け、後記損害を蒙つたところ、右捜査担当警察官は、公共団体たる被告東京都の公務員であり、かつ同人らは、犯罪捜査という公務を行なうにつき、故意少なくとも過失によつて、原告の人権を侵害し損害を与えたものであるから、被告は原告に対し国家賠償法第一条第一項により賠償する義務がある。

四  (原告の損害)

1 (逸失利益)

原告は、前記不法行為により、逮捕の日である昭和四一年二月一五日から、無罪判決を受けて釈放された昭和四二年四月一二日までの一年五七日(四二二日)間不当な身体の拘束を受け、その間稼働できなかつた。原告は、当時平均一ケ月の内二日の休日をとり、他に年末年始に四日間の休日をとつていたから、右拘束期間中の稼働可能日数は三九〇日であるところ、右逮捕当時は大工として一日金一、八〇〇円の収入を得ていたから、原告の右稼働不能による損害は合計金七〇万二、〇〇〇円となる。

他方、原告は、刑事補償法により右拘束期間一日につき金一、〇〇〇円、合計金四二万二、〇〇〇円の刑事補償金を受領した。

よつて、原告には右損害金から右受領した刑事補償金を控除した残額である金二八万円の損害がある。

2 (慰藉料)

原告は、前記のとおり長期にわたる屈辱と不安の生活を強制され、また、無実の罪であるにもかかわらず、あたかも真犯人であるかの如く新聞紙上等に報道された。このため、原告の年老いた母、社会の中心として活躍すべき年齢に達した兄、弟までが耐え難い生活を送らざるを得ない状態に追込まれた。これに因る原告の精神的苦痛は筆舌に尽し難く、到底金銭的賠償では賄い得ないものであるが、他に方法もないためやむなく、金一、〇〇〇万円をもつて慰藉を受けんとするものであるがこのうち、とり敢えず、本訴においてうち金三〇〇万円を請求する。

五、よつて、原告は被告に対し、右損害金のうち金三二八万円及びこれに対する不法行為の日の後の日である昭和四五年八月三一日から各支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。〈以下、事実欄省略〉

理由

一  (原告の身柄拘束等)

原告が、昭和四一年二月一五日警視庁警察官によつて詐欺(無銭飲食)容疑で逮捕され、引続き同容疑で勾留されたこと、右勾留中の同月二二日強盗強姦・強盗殺人(以下対に強殺等という)容疑で逮捕され、引続き勾留されたこと、同年三月一五日東京地方検察官により右強殺等容疑者として東京地方裁判所に起訴されたこと、そして昭和四二年四月一二日同裁判所において右強殺等において右強殺等被告事件につき無罪判決の言渡を受け、同日釈放されるまで一年五七日(四二二日)間の身柄の拘束を受けたこと、また、東京地方検察庁検察官は右判決を不服として、東京高等裁判所に控訴したが、同裁判所は昭和四五年八月一七日控訴棄却の判決を言渡し、その後右判決は確定したこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二(事案の概要)

ところで、原告の本訴請求は、前記の原告に対する逮捕、勾留等の違法・有責を理由とするものであるから、その判断の前提として、まず事案の概要についてみることとする。

1  (強殺事件の発生と捜査の経過)

(一)  (事件の発生と捜査活動)

(1) 昭和昭年一月二五日午前七時五分頃(以下、特に記載のない限り、日時は昭和四一年である。)、東京都北区東十条四丁目一三番地所在東十条郵便局中庭において女性(佐藤英子、当時三八才)の変死体が発見され、警視庁は初動捜査の結果、強盗強姦・強盗殺人事件と認め、同日、同庁刑事部長を本部長とする捜査本部を王子警察署に設置し、同庁捜査第一課警部青木光三郎が現場における直接の捜査指揮を担当して捜査を進めた。(以上の事実は当事者間に争いがない。)

(2) そして、捜査本部は、被害者が同月二四日午後一〇時一〇分頃から同一一時五分頃までの間、右東十条郵便局前付近路上を酩酊のうえ徘徊し、同路上で俯伏せたり、嘔吐したりしていたのを通行人および付近の住民が目撃していること、他方、同日一一時四五分頃以降は被害者の姿を同路上で見かけた者はいないことなどが判明したことから、右犯行時間を同月二四日午後一一時頃から翌二五日午前零時頃までの間と推定し、その間における現場付近の通行人、犯行目撃者、挙動不審者の発見等に捜査の重点をおき、聞込捜査を続けた。

(二)  (原告に対する嫌疑)

(1) 捜査本部は、右の捜査の過程において

(イ) 二月五日、現場付近の北区東十条四丁目一帯の聞込捜査中、右同所所在のバー「セブンハート」のマダム鈴木から、同店ホステス山田が、一月二五日夜同店に来た同女の馴染客である篠原という男より、「同僚の田中(原告)が、横浜に出張しているはずなのに、昨晩午前一時半頃帰つて来たがどうもおかしい。」と言つていたのを聞いている旨の聞込みを得た。

(ロ) また翌二月六日、再び右「セブンハート」に赴いた際、右鈴木からたまたま、「田中(原告)が二月五日の晩に飲みに来て、「俺は、一月は東京に居なかつた。」「篠原は居ないか。」などと言つていた。」との聞込みを得たので、右の点に関し捜査したところ、右篠原と原告とは共に北区神谷一丁目六番六号大工高橋三好方に住込んでいる事実を突止めた。

(ハ) そこで、右篠原に直接会つて尋ねたところ、「田中(原告)は、一月二五日午前一時三〇分頃帰つて来たが、その時彼は窓から入つて来た。」との供述を得、更に右高橋の妻光子からも「田中(原告)は一月二五日は朝食も食べずに横浜の方へ行つたが、こんなことは今迄にはなかつたことである。」と聞込み、また、右高橋の元請関係にある豊島区西巣鴨所在の相沢工務店の店主相沢勇吉から、「田中(原告)は一月一七日から横浜市中区山下町の朝日運輸株式会社の寮に泊り込んで働いている。」との聞込みを得た。

(ニ) そこで朝日運輸の寮に赴いて、原告と共に泊込みで同社の事務所等の増築工事に従事していた原進吾から事情を聴取し、同人から、「田中(原告)は、一月二五日東京から帰つて来て、「タバコのことで喧嘩して相手の顔を刃物で傷つけた。朝、帰りがけにパトカーを見た。」と話していた。」との聞込みを得、原に対し原告の監視方を依頼した。

(ホ) 更にその頃北区東十条四丁目所在のバー「ハンター」において、田中(原告)が一月二四日午後八時から八時半の間頃に店へ来て、馴染のホステス広江ヒロ子を相手に三、一五〇円のものを飲食し、その代金中二、〇〇〇円を払い、午後一〇時半頃一旦店を出たが、一時間ぐらい経つた午後一一時半頃また店に戻つて来て、残りの一、一五〇円を払つたうえ再び飲食し、閉店の二五日午前零時頃店を出た。その後田中(原告)は、ヒロ子と店の客である仁平彬が一諸に歩いているのを見つけ、仁平と口論したが、午前零時半頃彼等と別れている。」との聞込みを得た。

(2) 捜査本部は、右の聞込みにかかる(イ)ないし(ホ)の事実、特に原告が「ハンター」を一旦出た後、再び同店に姿を現わすまでの時間が、ちようど前記犯行推定時間帯と一部合致すること、原告が「ハンター」閉店後仁平と口論して別れた後、高橋方に帰るまでの時間が長過ぎること等から、原告に対し嫌疑を抱き、同人の右時刻頃のアリバイにつき捜査したが、その頃同人が付近の他の飲食店に出入りした事実その他のアリバイとなるべき事実は発見されず、ますます嫌疑を深めるに至つた。

(3) しかし、右のような情況証拠の類はあるものの、原告と犯行とを結びつけ、その嫌疑を裏付けるべき物的証拠の類は何ら収集することができず、また原告のほかに有力な容疑者が浮んで来るということもなく、原告を直接取調べないことには、もはや捜査はこれ以上進展し得ないという状況に至つた。(以上(一)の(2)、(二)の(1)の(イ)ないし(ホ)、(二)の(2)・(3)の各事実は、証拠ならびに弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。)

2  (詐欺被疑事実による原告逮捕に至る経緯等)

(一)  (詐欺被疑事実についての捜査)

原告は、昭和四〇年六月頃から、北区東十条四丁目所在バー「レインボー」(同店の保健所に対する届出営業名義人は三崎アサであるが、実質上の経営者は原口広司である。)に出入りし飲食するようになつた。そして、原告は大工であるところから、同店の実質上の経営者原口広司のために、同人が赤羽に経営するクラブ「キバラシ」の内部造作をしたことが機縁となり、原口と個人的にも親しくなつて、同年九月頃からは前記「レインボー」でしばしばつけで飲食するようになつた。しかし、原告は同年一一月頃からぷつつり同店に顔を出さなくなり、その間の同年九月二五日から翌一〇月二九にまでの八回分の飲食代金合計約一万二、〇〇〇円の支払を遷延し、支払催促の電話を受けた際も、近日中に支払うと返事しながら、これを怠つていた。しかし、原口も、一度は或いは騙されたのかもしれないとの感を抱いたことはあるものの、あえて法的手段に訴えるまでのことは考えずそのまま放置しているうちに、原告の右飲食代金不払の事実を殆ど失念するに至つていた。

ところが、四二年二月一一日頃、前記強殺等事件の捜査本部員は「レインボー」を訪れ、同店のバーテン滝沢渉に対し原告の写真を提示して、同人について飲食代金不払の事実がないかどうかを尋ね、滝沢が前記の飲食代金不払の事実を告げるや、同人に対し「強殺等事件の犯人が田中(原告)であることは間違いないから、飲食代金不払の事実を詐欺被疑事件として別件逮捕したいので、警察に協力して被害届を出して貰いたい。」と告げた。またその頃、原口の自宅にも捜査官が訪れ、原口に対し右同趣旨のことを要請した。原口は、原告の刑事訴追を望む意思はなかつたものの、滝沢と相談の結果、風俗営業を営んでいる関係上後で睨まれるのも得策でないと考え、また右強殺等事件の如き重大な事件について、右のような手続をとつてその犯人が逮捕できるのであれば結構なことと思い、捜査官の右要請に応ずることとした。そして、捜査本部は、翌二月一二日売上伝票を持参して王子署に出頭した滝沢から、原告の右飲食代金不払の事実について、詐欺被害を受けたとの内容の供述調書を取つた。またその頃、「レインボー」の営業名義人三崎アサの居住先に赴き、同女から被害届(捜査本部員小熊隆が代書している。)の提出を受けた。(この被害届は、滝沢の供述書と同趣旨のものであつて、原告の人相についての記載まであるが、三崎は前記のように単なる営業名義人に過ぎず、原告とは全く面識もなく、また、原口或いは滝沢が原告の飲食代金不払の事実を同女に告げたこともない。)

そして、捜査本部は、翌二月一三日原告の雇主の妻高橋光子から、原告の資力、生活状況に関する併述調書を取り、更に翌一四日、原告の右飲食代金不払事実を詐欺被疑事件として立件し、これにつき逮捕状を請求する際の疎明資料とするため、捜査本部員松下信男外一名に、右事実について強制捜査を必要とする旨の同日付捜査報告書を作成させ、必要とあれば何時でも詐欺被疑事実で原告を逮捕できるように準備を整えた。

(二)  (任意同行)

そして捜査本部捜査官は、翌二月一五日午前七時頃、原告の当時の仕事現場であり泊込んでいた横浜市中区山下町所在の朝日運輸株式会社の寮に赴き、原告に王子署への同行を求め、身の廻りの物を整理して携行するように指示し、同人を捜査本部の設置されている王子署まで任意同行した。

そして、青木光三郎が取調官となつて、原告を、同日午前一〇時頃から夕刻に行なわれた会議(この会議において捜査本部は、詐欺被疑事実につき逮捕状を請求するか否か検討したものと推認される。)を挾んで午後一〇時過まで、強殺等事件に関して、その事件名も黙秘権も告知することなく、強殺等事件発生当夜である一月二四日の原告の足取りにつき取調を行つた。しかし、捜査官は原告は、原告が当初一月二四日の上京の事実そのものを否定し、また「ハンター」を中座したことも否定したりしたことから、一月二四日の行動について故意に事実を隠そうとしているとの心証を抱いた。また原告においても、右同日のアリバイについて捜査官を約得させるに足る説明をなし得なかつた。

(三)  (原告の逮捕・勾留)

そこで捜査本部は、原告の「レインボー」における飲食代金不払の事実のうち、昭和四〇年一〇月一二日頃から同月二九日までの四回分合計五、九五〇円について、これを無銭飲食詐欺被疑事実として原告を逮捕し身柄を確保しようと決意した。即ち、前記のように、高橋光子、相沢勇吉、原進吾らからの聞込みにより、原告の職業・住居がいずれも判明していたのにもかかわらず、「職業不詳(元大工)、住居不詳(元北区神谷町一―六高橋方)」と記載し、かつ前記のように、原告を現に王子署において取調中であるのにもかかわらず、「原告の住居不詳につき逮捕状は一ケ月の有効期間を必要とする。」と記載した逮捕状請求書(請求者司法警察員警部園谷勝市)を作成し、これに前記三崎アサ作成名義の被害届、滝沢渉の供述調書、松下信男外一名作成の捜査報告書(この捜査報告書の、原告の職業および住居についての記載はいずれも逮捕状請求書の記載と同様であり、また、強制捜査の必要性として、「被害者(原告)は他にも東十条駅前の飲食店においても同様手段での余罪もあり、現在の稼働先も不明で本件捜査を察知すれば逃走、証拠隠滅のおそれもあるため」と記載されている。)を疎明資料として添付して、これを東京簡易裁判所に提出した。そして同日同裁判所裁判官により逮捕状の発付を受け、午後一一時これを執行して原告を逮捕した。

その後、東京地方検察庁検事横山精一郎は、二月一七日原告の右詐欺被疑事実について東京地方裁判所に勾留請求し、同日同裁判所裁判官より右勾留状の発付を得て、同日これを執行して原告を勾留した。

なお、この間二月一六日付で、松下信男外一名名義で「余罪捜査報告書」と題する書面が作成されているが、これは前記二月一四日付松下信男外一名作成の捜査報告書において、強制捜査を必要とする一事由に挙げられている同種余罪に関する捜査報告書であり、右勾留請求の際の疎明資料の一になつたものと推認される。(以上(一)ないし(三)の各事実は、〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨によりこれを認めることができ、〈証拠〉中、右認定に反する部分は信用できず、他にこれを覆えすに足りる証拠はない。)

3  (右逮捕・勾留中の取調)

(一)  (取調時間)

捜査本部は、前記のように二月一五日午後一一時頃原告を逮捕したが、引続き同午後一一時一〇分頃原告から詐欺被疑事実についての弁解を聴取し弁解録取書を作成した(その際原告は、逮捕状に記載されている事実に間違いない旨供述している。)

翌一六日は、王子署小日向阿久田警部捕が、午前九時頃から午後零時四二分頃まで、以後は青木警部が午後一一時一〇分頃まで原告を取調べた。

翌一七日は、午後三時頃から午後一一時二五分頃まで青木警部が取調を行なつた(同日の取調が午後三時頃からになつたのは、勾留請求手続のため原告の身柄を東京地方検察庁に送致したことによるものと推認される。)。

翌一八日は、捜査本部員阿部正警部捕が午前一〇時五分頃から午後零時半頃まで、青木警部が同午後一時半頃から同六時頃まで、そして再び阿部警部捕が同午後七時頃から翌一九日午前零時半頃まで取調を行なつた。

そして、二月一九日以降、後記のように原告が強殺等容疑で逮捕された二二日までの間も、青木警部を中心として右とほぼ同様の長時間にわたる取調が行われた。

(二)  (取調内容)

右二月一五日から二二日までの原告に対する取調は、前記一六日午前の小日向警部捕の取調が詐欺被疑事実に関するものであるが(この取調において、原告は右被疑事実をほぼ認め、その旨の供述調書一通が作成されている。)、右一回を除き、その余のすべては強殺等事件に関して行なわれた。なお、右強殺等事件に関する取調に際し、少くとも原告が後記のように強殺等事件について自白するまでは、黙秘権の告知も被疑事件名の告知もなされていない。

(三)  (取調方法)

右取調は、王子署の約二坪ほどの取調室において、窓を背にして原告が椅子に腰掛け、机を挾んで取調官が位置し、取調官の右脇に供述録取の代筆者が、取調官の右手前方窓側に立会の警察官がそれぞれ位置し、更に連絡係の警察官を一名廊下側に待機させ、結局都合四名の捜査官が在室する状態で行われた。(以上(一)ないし(三)の各事実は、〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨によりこれを認めることができ、〈証拠〉中右認定に反する部分は信用できず、他にこれを覆えすに足りる証拠はない。)

4  (強殺被疑事実による逮捕勾留・起訴等)

(一)  前記詐欺被疑事実による勾留中の二月一八日午後五時頃、青木警部が強殺等事件について取調べていると、原告は強殺等事件の犯人は自分である旨自白するに至つたので、青木警部はこれにつき簡単な自白調書を作成し、引続き阿部警部捕が翌一九日午前零時半頃まで原告を取調べ、その自白調書を作成した。右二通の自白調書に基づき、捜査本部は、担当検察官である東京地方検察庁検事山崎恒幸にも連絡のうえ、検討した結果、原告を強殺等事件の被疑者と断定し、一九日強殺等被疑事実についての逮捕状を東京簡易裁判所裁判官に請求して、同日その発付を受けた。

(二)  しかし、右令状の段階で、山崎検事から令状の切替は憤重にするように指示されたこともあつて、直ちに右令状を執行して逮捕することはせず、従前の詐欺被疑事実による勾留を継続し、その間も前記のように、専ら、強殺等事件について原告の取調べを続け、同月二二日に至り右逮捕状を執行して原告を強殺等被疑事実により再逮捕した。

(三)  山崎検事は、同月二四日強殺等被疑事実により原告の勾留を請求し、勾留状の発付を得て執行し、翌三月五日更に一〇日間の勾留延長を請求し、これが認められたので、その期限いつぱいの三月一五日原告を強殺等容疑により東京地方裁判所に起訴した。

なお、前記詐欺被疑事実については、三月二五日付で起訴猶予の処分がなされている。(以上(一)ないし(三)の各事実は、証拠ならびに弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。)

三(警察官の職務行為の違法・有責性)

1  (詐欺被疑事実による逮捕・勾留)

(一)  (違法な別件逮捕・勾留)

(1)  何人も、法律の定める一定の要件(ここで問題となる通常逮捕については刑事訴訟法一九九条、同規則一四三条の三、勾留については刑事訴訟法六〇条、八七条、二〇七条)がなければ逮捕・勾留されることはないのであつて、この人身の自由は、憲法の保障する最も基本的な人権というべきであり、この要件を欠く逮捕・勾留が違法であることはいうまでもない。

(2)  ところで、合目的性・弾力性が要請せられる捜査の特質、捜査段階における嫌疑の浮動性・変展性、或いはおよそ証拠資料の証明力の評価には一定の範囲での個人差が生ずることも避け難く、しかも捜査の段階においては右の現象が殊に願著であることに鑑みれば、警察官或いは検察官の逮捕・勾留(ここでは捜査段階での勾留、即ち起訴前の勾留を指す。以下同じ。)が違法であるとするには、逮捕或いは勾留の各段階において、既に収集済の証拠資料と将来収集し得ることが合理的に期待できる証拠資料とに基づく警察官或いは検察官前記拘束要件についての判断が、論理的或いは経験則上明白に合理性を欠くものであることを要するというべきである。

(3)  しかし、その逮捕・勾留が右の要件を具備したものであつても、その逮捕・勾留が、司法的事前審査(刑事訴訟法一九九条、同規則一四三条の三、同法六〇条、二〇七条)を要求している憲法三三条、三四条の規定の精神(いわゆる令状主義)に違背するものであれば、その逮捕・勾留は、なお違法であるといわなければならない。

(4)  かようにして、専ら、未だ令状の発付がなく適法に逮捕・勾留し得ない事件(以下「本件」という)の捜査に利用する目的で、たまたま令状の発付を得るに足る証拠を収集し得た事件(以下「別件」という)についてその令状の発付を得、これにより被疑者を逮捕・勾留することは、別件に名を藉り、逮捕・勾留についての司法的事前審査を実質的に回避しつつ所期の目的を達成しようとするもので、前述の憲法三三条、三四条の規定する令状主義の精神を潜脱するものであつて、かかる手段による逮捕・勾留はいわゆる違法な別件逮捕・勾留として、違法な捜査方法の一つであり、許されないものというべきである。

(二)  (本件の詐欺被疑事実による逮捕・勾留は、違法な別件逮捕・勾留に該る)

而して、前記二、認定の諸事実を総合して判断すると、原告に対する詐欺被疑事実による逮捕・勾留は、右のいわゆる「違法な別件逮捕・勾留」に該るものというべきである。その理由はつぎのとおりである。

(1)  捜査本部の捜査官が、二月一一日頃「レインボー」を訪れ、滝沢に原告の写真を提示して、原告に飲食代金の不払がないか尋ねている事実(前記二、2(一)項)は、捜査本部がこの当時既に、原告が酒好きで現場付近の飲食店にしばしば出入していたことに着目し、もし飲食代金の不払があれば、それを詐欺被疑事実として、これにより同人の身柄を拘束し、強殺等事件の捜査に利用することを考えていたと窺わせるものであり(蓋し、捜査本部は本来詐欺被疑事件には関知しないはずである。)、更に滝沢に対し「強殺等事件の犯人が田中(原告)であることは間違いないから、飲食代金不払の事実を詐期被疑事件として逮捕したいので警察に協力して被害届を出して貫いたい。」と告げている事実(前記二、2(一)項)は、捜査本部が別件逮捕・勾留の意図を有していたと推認させる直接的な徴憑というべきである。

(2)  ところで、捜査官が「違法な逮捕・勾留」に出でようとする場合においては、通常、捜査官が敢てかかる手段に訴えても被疑者の身柄を拘束したいと希望することもあり得べき、それ相応の客観的状況が存在するのであるが、これを本事実についてみるとまさに右状況が肯定できる。

即ち、捜査本部は、強殺等事件の犯行時間を一月二四日午後一一時頃から翌二五日午前零時頃までの間と推定し、その間における事件発生現場付近の通行人、犯行目撃者、挙動不審者の発見に重点をおいて聞込み捜査中、現場付近の飲食店、原告の雇主の妻高橋光子、或いは原告の同僚篠原脩等からの聞込み事実、特に原告が事件当夜現場付近のバー「ハンター」で飲食し一旦同店を出た午後一〇時半から、再び同店に戻つて来た同午後一一時半頃までの間が前記犯行推定時間帯と一部重なり合つていることから、当夜の原告の行動に不審を抱き、同人のアリバイを捜査したが、これが発見されず、ますます嫌疑を深めた。しかし、原告と犯行とを結びつけその嫌疑を裏付けるに足る物的証拠或いはいわゆる科学的証拠は何らこれを収集することができず、また他に有力な容疑者が浮んで来るということもなく、二月一四日頃の時点においては、直接原告を取調べてみないことには、捜査がそれ以上進展することを期待し得ない、行結つた状況に至つていた(前記二、1(一)・(二)項)。

しかも、右強殺等事件が極めて重大な犯罪であるのに、原告は独身の大工職であつて、当時は横浜に出張し、家財道具もない粗末な寮の一室に泊込みで作業に従時している状況であつたこと(前記二、1(二)及び2(二)項、証人松下信男の証言)に徴すると、捜査本部が、もし原告の身辺を捜査していることを同人に察知されたら逃亡されるおそれが強いと考え、原告の身柄を可及的速やかに拘束することを欲し、また逃亡のおそれが強いという点から、強殺等事件について任意に事情を聴取するという任意捜査の方法をとることは危険であり、強制捜査の方法を採りたいと考えたとしても少しも不思議ではない状況であつた。(現に、前記二、2(一)・(二)項によると、捜査本部は、必要とあれば何時でも詐欺被疑事実により逮捕状を請求できるように準備を整えたうえで、二月一五日原告を王子署に任意同行して、強殺等事件についての取調を始めている。)

以上のような状況においては、捜査本部が別件逮捕・勾留を企図することも十分あり得べきものということができる。

(3)  つぎに、「違法な別件逮捕・勾留」の基礎とされる「別件」についてみると、それは、被疑者の身柄を拘束し、その状態を利用して専ら「本件」について捜査するための手段として利用されるものであるから、事案は軽微で逮捕・勾留の理由が薄弱であつたり或いはその必要に乏しいことの多いのが通例である。また、それ故に「別件」による身柄拘束がそのままでは当然不確実なところから、「別件」についての証拠資料の収集、逮捕状・勾留状の請求に際し、捜査官の行過ぎ或いは不当な作為、工作がなされるであろうことも考慮の内に入れなければならない。

右の点に関して本件をみると、

(イ)  捜査本部が詐欺被疑事実について「レインボー」の関係者から供述調書等をとつた経過みると、前記二、2(一)項認定の事実からすれば、「レインボー」の経営者原口は捜査本部の協力要請に応じて、任意に捜査に協力しようとしていたというべきであり、バーテン滝沢も、原口と連絡の上その意を受けて、捜査本部に原告の飲食代金不払の事実を詐欺被害として供述したものであつて、(供述内容に幾分の誇張がないではないが、)同人らは原告に騙されたとの感を現実に抱いていたのであるから、これをもつて原告主張のように虚偽の事実を供述させたというべきものではない。

また、捜査本部が被害届を、「レインボー」の単なる営業名義人に過ぎない三崎から提出して貰つていることについて、原告は、原口の他に営業名義人がいたことを奇貨としたものであると主張するが、前記認定のように、原口自身当局に協力する意向を示していたのであるから、原告の主張のようには解し得ない。捜査本部としては、形式的ではあるにせよ営業名義人は三崎であるから、被害届の作成名義人としては同女の方が適当であるとしたまでのことと推察されるのである。

しかしながら、右被害届の内容についてみると、三崎は前記のように単なる名義人に過ぎず、店の経営には一切関係していないのであつて、原告とも勿論何ら面識がなく、また原口或いは滝沢が原告の飲食代金不払の事実を報告したこともないのにかかわらず、滝沢の供述調書と同旨の事実が述べられており、しかも原告の人相についての記述すらある。そして右被害届(甲第一号証の二)は捜査本部員小熊隆巡査が代書していることと照し合わせると、この被害届は、捜査官が滝沢の供述調書の記述に基づき、これと同旨の記載をした書面に、事情を知らない三崎からその署名・押印を貰つて作成されたものと推認せざるを得ない。

次に、逮捕状請求の記載についてみると、捜査本部は前記二、2(三)認定のように、原告(被疑者)の職業不詳(元大工)、住居不詳(元北区神谷町一―六高橋三好方)と記載したのであるが、捜査本部は、高橋光子、相沢勇吉、原進吾らに対する二月一三日までの聞込みの過程で、原告が北区神谷町一丁目六番地の高橋三好の住込職人として働いている大工であつて、当時は高橋の指示により、高橋の元請関係にある相沢工務店の請負つた横浜市中区山下町所在朝日運輸株式会社の事務所或いは寮等の増改築工事に従事し、同所の寮に泊り込んでいることを既に探知していたものと推認され、捜査本部が原告の職業、住居を詳かにしなかつたとは考えられないのであるから、右の如き住居、職業の記載は何らかの意図に基づくものと推認せざるを得ない。

また、逮捕状(甲第一号証の一)の有効期間について、原告の住居が不詳であるから一ケ月の有効期間を必要とする旨の記載をしている点も、原告の住居不詳との点については前記のとおりであり、逮捕状請求当時は現に原告を王子署で取調べている最中であるから、たとえ理論上はその取調が任意のものであり、従つて原告が取調を拒否し退去を申出たときにはその意思に反して同人の身柄を拘束し続けることはできないとしても、如何にも不自然な記載といわなければならない。

畢竟するに、右の如き逮捕状請求書等の記載は、捜査官が、詐欺被疑事実そのものが軽微な事実であつたため、裁判所により逮捕の必要がないものとして却下されることを危惧し、強制捜査の必要性の存在を強調することにより、令状の発付を確実なものにしようと敢てしたものと推認され、そこには捜査本部の、身柄拘束に対する強い希望が看取される。

(ロ)  本件の詐欺被疑事実は、原告の行きつけの飲食店での「つけ」による飲食の代金の不払に関するものである。ところで、かかる事案においては、通常、飲食時においては無銭飲食(欺罔)の意思はなく、何らかの理由でその支払を延滞しているに過ぎず、従つて詐欺罪の故意を欠くことが多い。原告の場合も、「レインボー」に出入しているうちに経営者である原口夫婦と個人的にも親しくなり、やがて「つけ」で飲むようになつたもので、無銭飲食する意思のあつたことを特に推認させるべき挙動或いは客観的状況はないのである。してみると、右の詐欺被疑事実は、そもそも詐欺罪の成立すら疑わし事案であつたといわなければならない。

また、原告の飲食代金不払分は総額にして一万円程度であつて(前記二、2(一)項)、当時の同人の収入(日給一、八〇〇円、月額にして約四万五、〇〇〇円から五万円)と比してもさまで高額なものとはいえず、しかも、逮捕された日は給料日であつて、当日受取るべき給料から前借分を差引かれてもなお不払分を支払い得たのであり、それでなくても原告は必要とあれば給料を前借することもできたのであるから(原告本人尋問の結果)、原告が敢て逃亡を図るなどということは殆んど考えられない。

その上、原告は詐欺の犯意は否認してはいたものの、代金不払の事実そのものは認めており、かつ捜査本部は既に三崎の被害届、滝沢の供述調書、高橋光子の原告の経済状態、生活態度についての供述調書を取り、罪体についての証拠資料は収集済みであつたのであるから(前記二、2(一)項、証人青木光三郎の証言、原告本人尋問の結果)、罪証隠滅のおそれも少なかつたということができる。

しかも、右のように、逮捕当日は原告の給料日であつて、かつ同人が給料の前借もできることを、捜査当局は高橋光子から聞いて知つていたのであるから、捜査当局としては、原告に不払分を早急に支払うよう指導すれば事足り、敢て逮捕するまでの必要はなかつたのではないかと思われる。

また、勾留についてみても逮捕の翌日の、小日向警部捕の取調によつて、詐欺についての捜査は尽きてているというべきであり(現に、原告は以後詐欺の被疑事実について取調を全く受けていない。)、なおこれを請求する必要があつたものか、逮捕の場合よりも一層疑わしく(なお、〈証拠〉によると、逮捕後、二月一六日付で松下信男外一名により「余罪捜査報告書」と題する書面が作成されているが、その内容は、原告につき他にも昭和四〇年一〇月頃北区神谷三丁目のバー「チヤコ」での金四、〇〇〇円相当の無銭飲食詐欺の事実がある旨の簡略なものであつて、これにつき以後捜査がなされた形跡は認められず、これは勾留の理由或いは必要を捕強する必要から、捜査して立件する意図もないのに、わざわざ作成されたものとの疑いが濃い。)、そもそも勾留の理由が存在したか否についても疑いが残るのである。

因に、詐欺被疑事実については、三月二五日不起訴(起訴猶予)処分がなされている(前掲乙第一号証)。

(4)  ところで、「違法な別件逮捕・勾留」は「別件」による被疑者の身柄拘束状態を利用して「本件」についての捜査(とりわけ自白の取得)を逐げることを目的とするのであるから、結果として、その逮捕・勾留後の取調時間の多くが「本件」のために費され、その取調方法も厳しいものになりがちであり、時として自白の強要とみられる事態が惹起されないでもない。以下、右の点に関し、本件の取調べについて検討する。

捜査本部は、二月一五日午前七時頃原告の宿泊先に赴き、就寝中の原告を起し王子署に任意同行後、午前九時頃から、強殺事件に関し、一月二四日における原告の行動につき終日取調べ、深夜一一時頃になつて原告を詐欺被疑事実により逮捕して、これにつき簡単な弁解録書を採つた。そして、翌一六日から同月二二日午後五時頃原告を強殺等被疑事実によつて再逮捕するまでの、前後八日間にわたる詐欺被疑事実による逮捕・勾留中の取調べにおいて、詐欺被疑事実の取調にあてられたのは、一六日午前九時から午後零時四二分頃までの僅か三時間四二分に過ぎない。これに対し、右以外の詐欺による逮捕・勾留中の取調のすべてが強殺等被疑事実にあてられている(前記二、3(一)ないし(三)項)。

しかも、勾留中の一八日午後四時半過ぎ頃青木警部の取調中原告が強殺事件について自白し、以後翌一九日午前零時半頃まで取調を続け、青木警部と阿部警部捕が自白調書を各一通作成して、これに基づき一九日強殺等被疑事実についての逮捕状を請求し同日その発布を得たのにもかかわらず、これを執行せずそれ以後も原告の詐欺被疑事実による勾留を継続し、その間も強殺被疑事実につき取調べを続行し、同月二二日午後五時頃に至り漸く強殺被疑事実についての逮捕状を執行している。そしてこの間、青木警部が詐欺から強殺被疑事実へのいわゆる令状の切替つき、強殺等事件捜査担当の東京地方検察庁検事山崎恒幸に連絡した際、山崎検事は、令状の切替はこれを慎重にすべき旨指示している(前記二、4項)。

右の事実は、詐欺被疑事実による身柄拘束期間を強殺等事件の取調に流用し、起訴前の被疑者の身柄拘束につき厳格な時間的制約を定めた刑事訴訟法二〇三条以下の規定を潜脱する意図によるものと推認せざるを得ない。

そして、取調時間は、検察庁への身柄送致等の事由により取調ができなかつた場合を除くと、ほぼ連日午前九時ないし一〇時頃に始まり、深夜一一時頃にまで及んでおり、その取調は相当に厳しいものであつたことは推察に難くない。

以上の如き詐欺被疑事実による逮捕・勾留中の取調の在り方は、そもそも詐欺による原告の逮捕・勾留が、その身柄拘束状態を利用して強殺事件について原告から証拠資料を収集しようと意図してなされたものではないかとの疑いを抱かしめるに十分である。

以上(1)ないし(4)の事由により、原告に対する詐欺被疑事実による逮捕・勾留が「違法な逮捕・勾留」に該るものであることは明らかである。

(三)  (有責任)

そして、右の如き事実関係からすれば、警察官(原告に対する関係では、捜査に関わつた警察官を一体としてみてよい。)に右違法な逮捕につき故意若しくは少くとも過失があつたことは明らかである。

2  (強殺等被疑事実による逮捕)

(一)  (違法な別件逮捕・勾留中の取調およびこれによつて収集された自白調書の証拠能力)

生命、自由の剥奪等に適正手続を保障する憲法三一条の精神およびこれを受ける刑事訴訟法一条、及び人身の自由を保障するために身柄の拘束につき詳細かつ厳格にその要件を規定した憲法の各条と刑事訴訟法の前記1(一)項に揚げる各規定に鑑みれば、「違法な別件逮捕勾留」中の取調は違法であり、またこれによつて収集された自白調書は、その証拠能力(証拠としての許容性)を否定されるものと解すべきである。

してみると、詐欺被疑事実による逮捕勾留中に収集された、強殺被疑事実についての青木警部および阿部警部捕に対する原告の各自白調書(前記二、4(一)項)は証拠能力を欠くものといわなければならない。

(二)  強殺等被疑事実による逮捕の違法性

しかして、前記二・三、項に認定のとおり、捜査本部に属する警察官は、「違法な別件逮捕・勾留」中の原告の自白をいわば決定的証拠として、原告を強殺等事件の被疑者と断定し、裁判官に右各自白調書を資料として提出して逮捕状を請求し、これを得て執行している。即ち、警察官は、刑事訴訟法上使用を禁止された証拠能力のない供述調書をあえて使用して逮捕請求をなし、その発布を得て当該令状を執行しているのであるから、これら一連の権力行使が違法であることは明らかである。

また、前述のように、警察官が、違法な別件逮捕・勾留という捜査方をとつてまで原告の身柄を確保しようとしたのは、まさに原告の自白を得んがためであつたのであり、それまでは前記二、1(二)(1)(2)項認定のような情況証拠の類はあるものの、原告と強殺等の犯行を結びつけ、その嫌疑を裏づけるに足りる物的証拠や科学的証拠の類はなかつたのである。そして原告の右自白後も、格別新証拠が発見されたような事実は主張立証されていない。してみれば、原告の前記自白調書を排除するかぎり、右の情況証拠だけからは、原告に対する強殺等の犯罪の嫌疑について相当な理由がなく、したがつて身柄拘束の必要もなかつたものと解せざるを得ない。仮に、警察官が、右の情況証拠だけから、右の理由があるものと判断し、原告を逮捕したのであるとすれば、前記1(一)(2)に述べた趣旨から考えても、右判断は論理的に或いは経験則上明白に合理性を欠くものというべきである。したがつて、警察官の前記権力行使は、この点においても違法というほかはない。

そして、前記二、および三、1項認定の事実関係からすれば、警察官に右違法な逮捕につき故意もしくは過失があること明らかである。

四(警察官の不法行為と原告の身柄被拘束状態との因果関係)

1  警察官が、前記三、1項のように、原告を詐欺被疑事実により逮捕し身柄を検察官に送致するまでになした行為と、原告が二月一五日より同月一七日までの間被拘束状態にあつたこととの間には、相当因果関係があることはいうまでもない。ところで、勾留請求の主体は検察官であり、同被疑事実による勾留裁判の主体は裁判官であり、また、右勾留裁判の執行指揮のそれは検察官である。

しかして、原告は、警察官と検察官が共謀して右勾留請求をなした旨主張するが、既にみたように両者が刑事訴訟法上の職務分担に従つてそれぞれの職務行為に関与したことは認めうるとしても、殊更に一方がその職務分担を越え他方の職務行為につき共謀をなした事実を認めるに足る証拠はない。前記二、4項認定の事実によると、警察官は、原告を強殺等の被疑者と断定するに際して検察官に連絡し、また検察官から令状の切替を慎重にするように指示されているのであるが、もともと捜査は公訴を適正に行うための手段であり、検察官が公訴の主宰者である関係から検察官には警察官(司法警察職員)に対する指揮権等(刑事訴訟法一九三条一ないし三項)もあるのであるから、本件のような重大事件で、警察官が検察官に対し、右のような連絡をし又指示を受けることがあつたとしても、むしろ職務上当然の行為をしたに過ぎないといえよう。

しかし、一方前記二、および三、項の認定の事実関係からすれば、警察官の前記違法有責な詐欺被疑事実による逮捕状請求、逮捕状の執行、身柄拘束の維持、取調、事件および身柄の送検等の一連の職務行為は、特段の事情がないかぎり、検察官および裁判官の前記各職務行為の実行につき主要な原因を与えたものと認められるから、社会通念上は警察官の右不法行為と検察官の身柄受理後、二月二二日の強殺等被疑事実による再逮捕至るまでの原告の身柄被拘束との間には相当因果関係があるといわなければならない。

2  また二月二二日強殺等被疑事実により再逮捕されてから、同月二四日事件とともに身柄を検察官に送致されるまでの間の原告の身柄被拘束と、警察官の前記三、3項の不法行為との間に相当因果関係があることはいうまでもない。そして、身柄受理後の原告の強殺被疑事実による勾留請求の主体は検察官であり、同被疑事実による勾留裁判のそれは裁判官であり、右勾留裁判の執行指揮および勾留延長請求のそれは検察官であり、また、勾留延長の裁判のそれは裁判官であり、さらに右延長の裁判の執行指揮および同被疑事実での原告のそれは検察官であり、同被疑事実による勾留の更新のそれは裁判所(官)であるが、前記二、および三、項に認定の事実関係からすれば、警察官の前記詐欺被疑事実による逮捕、強殺等被疑事実による逮捕等一連の違法・有責な職務行為の実行は、特段の事情がないかぎり、検察官および裁判官(所)の前記各職務行為の実行に対して主要な原因を与えたものと認むべきものであるから、社会通念上は警察官の右不法行為と、検察官の身柄受理後、昭和四二年四月一二日(第一審無罪判決の言渡を受けた日)釈放されるまでの原告の身柄被拘束状態との間にも相当因果関係があるといわなければならない。(公訴の提起が検察官の広汎な裁量にかかるものであること、或いは裁判所による勾留取消の裁判の可能性が存在したこと等の事由は、なお右相当因果関係を遮断せしめるに足りないというべきである。)。

五(被告の責任)

青木警部をはじめとする詐欺および強殺等事件の捜査担当警察官の原告に対する前記違法・有責な逮捕および取調は、犯罪捜査という職務執行行為として実行されたものであるところ、右警察官がいずれも被告東京都の公権力の行使にあたる公務員であることは当事者間に争いがないところであるから、被告は国家賠償法一条一項、同法四条により、右警察官の不法行為と相当因果関係のある原告の損害を賠償すべき義務がある。

六  (原告の損害)

1  (逸失利益)

原告が、昭和四一年二月一五日逮捕され、翌四二年四月一二日釈放されるまで計四二二日身柄の拘束を受けたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、原告は逮捕当時一日一、八〇〇円の収入を得ていたこと、右身柄拘束期間の稼働可能日数は三九〇日であることが認められる。

してみると、原告の右身体拘束期間における逸失利益は七〇万二、〇〇〇円となる。

2  (慰藉料)

原告が右違法な逮捕・勾留・取調によつて、基本的な人権である人身の自由を違法に奪われ、長時間にわたる厳しい取調を受け、強盗強姦・強盗殺人事件の容疑者として起訴され、同事件の被告人として無罪判決の言渡を受け釈放されるまで一年五七日に及ぶ長期間の身柄拘束を強いられたことにより受けた精神的苦痛は極めて深甚なものであつたことが推察される。さらに、これに前述の本件に現れた一切の諸事情を総合して考慮すると、原告の右精神的苦痛に対する慰謝料としては二〇〇万円をもつて相当と認める。

3  (損益相殺)

なお、原告が刑事補償法により合計金四二万二、〇〇〇円の刑事補償金を受領したことは当事者間に争いがないので、右(一)(二)の損害の合算額からこれを控除することとする。

七(結論)

よつて、原告の本訴請求は、右損害金二二八万円とこれに対する不法行為の日の後である昭和四五年八月三一日からその支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度においては理由があるからこれを正当として認容し、その余の部分は理由がないから失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条(本文、但書)を適用して主文のとおり判決した。なお、仮執行宣言は相当と認められないのでこれを付さないこととした。

(藤井俊彦 佐藤歳二 川勝隆之)

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